今自分は1年働いてから退職し、
「さて次は何をしようか」
そんなことを考えている状況だ。
食いつなぐためにお金は稼がないとな
と思っていたが、そもそも今がどういう期間なのかというと
『LIFE SHIFT』でいうエクスプローラーステージ
世間一般でいうギャップイヤーと考えてもいいのだなと思い
ふとギャップイヤーについて調べてみたので
ギャップイヤーについて思ったことを書いていく。
エクスプローラーステージ
ギャップイヤーの価値というものを考えるのに
役立つのが『LIFH SHIFT』という本。
Googleで「ギャップイヤー メリット」で調べても
あんまりピンとこないんで『LIFE SHIFT』読むのが一番良いと思う。
まあ本の中で
エクスプローラーとは
「ギャップイヤーをもっと極端に推し進める人」
と書いてあるが大枠としては一緒だと思って大丈夫そうだ。
人生100年時代は
自分を取り巻く環境が何度も変わることになる。
それに応じて自分も変身を余儀なくされる。
いろいろなものが変わるからこそ、変わらないものが価値を持つ。
自分の中の根っこがないと
変化に流されるだけになってしまう。
「波に乗っている」のと、「波に流されている」のは
似ているようで全然違う。
だからこそ多様なものに触れて、選択肢を広げることが価値を持つ。
多くの刺激にさらされることで、自分のことが見えてくる。
自分がどういう人間で、なにを好み、なにが得意なのかを見いだしていく。このステージは、自分の内面を探すというより、外的な刺激を通じて発見をおこなう時期になる。試練を与えられたり、思考を揺さぶられたり、怒りをかき立てられたり、ときには喜びを感じさせられたりする環境で自分について学ぶのだ。 (『LIFE SHIFT』)
そしてここで重要になるのが
多様な価値観、文化の人間と深い付き合いをすること。
重要なのは、本屋ウェブサイトを読むだけでなく、実際に人々と顔を合わせ、理屈抜きの感情レベルの経験をすることだ。そういう経験をする時、私たちは、目の前の人たちの人間存在そのものに触れられる。
現状はあまりに均質的すぎる。
皆が同じような教育を受け
ジェネラリストがよしとされる試験制度のもと
中学→高校→大学→新卒採用
と進んでいく。
流されるように同じ道をゆく。
自分もそうやって流されてきた。
ささやかな抵抗で
高校の時に特別進学コースを辞めるとか
大学で仮面浪人するとか、院試受けるとか
やってきたけどそんなのは大したことではない。
むしろ仮面浪人する余裕があるのであれば
もっと他にやれることがあった笑
(別に後悔はしてないが)
気づいてみればただの王道ルートを歩んでいる。
別にそれが悪いとは思わないけど
これだけが正解ではないよな、とやはり思うわけである。
規定のルートに乗っているのは非常に楽だ。
周りからの目線も好意的。
だけど楽が故に刺激が少ない。
規定ルートに乗りつつ、その楽さも利用して
いろいろ挑戦する、という器用な人もいるのだろうが
自分はそういうわけでもないので
なんとか困難な方へ、刺激が多そうな方へと
もがくわけである。
ギャップイヤー
ギャップイヤーというと
メインが高校から大学への進学時。
入学を遅らせることを許可してくれる大学がある。
また大学から企業に入るときのギャップイヤーを認めてくれる企業もある。
結局制度で見たときの
ギャップイヤーは
日本とEUやアメリカでどう違うのか?
日本は導入している大学や企業が少ない。
東京大学をはじめとした一部の大学でのみの導入という状況。
EU諸国(特にイギリスやドイツ)やアメリカでは
ギャップイヤーを導入している大学も多く
利用する学生も多いそうだ。
※具体的な数値はチラッと調べただけではわからなかった。
ただ、別にギャップイヤー制度は
なにも経済的支援をたくさんしてくれるわけではない。
なので別に制度がなくたってギャップイヤーは
作ろうと思えば自分で作ることができる。
もちろん、高校から大学でのギャップイヤーは
入学が決まっている状態でギャップイヤーを過ごせた方が
気持ち的には楽ではある。
ただ問題はそもそもそこではない。
ギャップイヤーの課題
社会的な認知
まず最大の課題が社会的な受容。
一年間社会人、あるいは学生をやっていなかっただけで
異質とみなされてしまうのが現状だ。
そうなると就活も厳しくなるし
親も賛成はしてくれない。
自分も最近会社をやめたことを親に言ったら絶望された。
「なんでそんなことするんだ。」と。
まあこれが現状だろう。
自分がもし来年にまた就活をしようとしたとすると
面接にすらなかなかたどり着けないかもしれないし
たどり着いたとしても、この1年をいかに有意義に過ごしたかを
見事にアピールしないと企業は採用してくれないかもしれない。
おそらく世間一般の認識はこれだ。
こんな状況で大学側がギャップイヤーを用意したところで
誰も利用はしない。
「でも1年空くのって本当にそんな悪いことか?」
少なくとも自分は全くそうは思わないけど
社会的にはかなりリスクが高いと思われている。
実際どうかは自分も今が検証段階。
選択肢がない
次にそもそもギャップイヤーをとったとして
やることがないこと。
これは社会的な受容が進んでいないことも
大きく影響している。
海外留学が手っ取り早いし
エクスプローラーステージ
という意味でも海外がめちゃ有効であるのは間違い無いのだが
そこまではせずに、国内で何かしよう
て時に選択肢が無い。
そもそもほとんど社会人との交流などもない状態で
大学に入る前にギャップイヤーをとったところで
なにをしたらいいのかが全くわからない。
そこを考えるための土台がない。
検索しても情報がない。
なにせ経験者が少ないから。
この選択肢の部分に関しては
ボランティアとかオンラインサロンとかインターンとかワーホリとか
本当はいろいろあるけど。
金銭的な問題
単純にお金がない。
別に制度があったとしても
金銭的な援助があるというよりは
時間はあげる、選択肢も用意してあげる
あとは自分でどうぞ!
というもの。
海外留学しようにもお金がないとできない。
現在の金銭的なリスクを背負って
将来の就職のリスクも背負うのは荷が重すぎる。
と考えると自分みたいに1~3年くらい働きながら
お金貯めてギャップイヤーとるって
結構ありなんじゃないの?
と思ったりする。
まとめ
と、最終的になぜか自分を正当化して終わったわけだが
まあギャップイヤー制度なんてあろうがなかろうがどうでも良くて
要は王道から離れた時に周りから見られる視線
「王道じゃなければいけない」という自分への制約や固定観念
に囚われなくてもいいんじゃないの?
世間では大きなリスクと思われてるかもしれないけど
そうでもないんじゃないの?
と思ったという、とそういう話である。
別に推奨するわけではないし大変かもしれないけど
それはそれで楽しいでしょう。